看取りは親からの最後のメッセージ

A joyful family walking together outdoors, holding hands in a playful and happy moment.

あなたは看取りというのを聞いたことがあるでしょうか。

人生いつか死ぬというふうにわかっているのであるならば絶対にあなた自身も誰かに看取られてなくなるということは言うまでもありませんが私自身もこの看取りを経験しました。

自分の親が亡くなっていく姿を本当に目の前で見た時に何もできなかったのかというよりも時間という概念がものすごく重要だということにわかってきたんです。

両親とも違う病院で亡くなりましたが個人的に全部立ち会いをしたのは私自身だったのでその時の衝撃というのは忘れられないです。

ただ私は悲劇のヒロインを演じるつもりはありません。

遺された家族が何をするべきかということを実体験からお話をしていくことですのであなたがこの場面にいるのであればぜひこの記事を読んでください。

人生いつか死ぬことは避けられない

時間と死ぬことはどんな人間にも平等に与えられていると言っても過言ではありませんがあなた自身がどういう時間の過ごし方をやるのかで人生はほとんど決まってしまいます。

お金持ちであろうが誰であろうが人は絶対に死ぬということから避けることはできません。

永遠の命という風に言われるかもしれませんがそれは本当に100年先の未来ではないかという風に私は思うんですね。

人は死んでからどうなるかというのは宗教宗派でいろいろの違いがあるとは言えますが自然の摂理に考えれば土に戻るだけです。

私は看取りを経験して本当に思ったのはただ単に肉体をなくして魂になっただけなんだなという風に思ってこういう話をすればスピリチュアルにはまってしまってるのかという風に思われるかもしれませんが実際に感じることはそうです。

人はいつか死ぬという風に決まっているのであればこの時間を楽しむということが大事でありどん底に落ちている暇なんてないんです。

どん底だという風に悲劇のヒロインを演じていたらばかばかしいと言ってもいいということです。

だったら自分が死ぬまでの人生の中で何を過ごしていくのかどうやって時間を過ごすのかというのは最も重要になるんです。

ですので人は死ぬことから避けられないということはまず理解してください。

親の看取りはつらいが人生は自分で構築していくしかない

Spacious hospital room with several empty beds and medical equipment, emphasizing healthcare and hygiene.

親の看取りほど辛いものはありませんでした。

人生の中で本当に親が亡くなっていく姿を見てしまった時に泣くのは普通のことではありますし私自身も耐えられないと言ってもいいぐらいです。

精神が崩壊するほど本当に嫌なことがたくさんあったと言ってもいいかもしれませんがその嫌なことすら自分で乗り越えていかなければなりません。

この世は誰かが助けてくれるなんて思っていたら大間違いです。

自分が何とかしていかなければいけないというので人生は自分で構築していくということを考えた時に何ができるのか自分に時間はどれくらいあるのかという風に真剣に考えるべきです。

親がなくなったときは本当に色々なものが飛んでしまいましたしお金もなくなってしまったということがあったのかもしれませんかもう3年にもなるので本当に執着なんてしていないです。

これからの人生をどう生きていくのかということだけを考えるとにかくフルコミットで自分の人生を生きていこうという風に決めました。

自分はブロガーという立場上は記事を書いていくということを生業にしていますが個人的には本当にブログだけで食っていけるような自信もなかなかないです。

でも決めた人生は絶対に変えたくないということでもう誰にも縛られるような人生よりも自分が豊かになる人生だけを考えていこうと決めました。

親の看取りは正直つらいです。

でもその先にある未来を信じて自分自身が特攻精神のように生きていくというのはものすごく重要なことではないかと思いました。

両親の供養は誰よりもあなたがやればいい

この3年本当に両親の供養を徹底的にやってきたと言ってもいいぐらいですが誰よりもあなたがすればいいんです。

お墓の建立となるとさすがにお金がかかるという風に言う人もいますがやはりお墓というのは先祖とのつながりがあると言ってもいいのでもちろんそういうことを否定する宗派もあるでしょう。

でも私から見れば自分の親は今この墓に眠っているという風に考えてしまうとなるほどなという風に思うわけなんです。

親とはまた会えるという風に考えるとなれば自分自身もやる気が出てきますしお墓参りをすることによって自分を見つめ直す時間を作るということはできるんですね。

両親の供養というのは本当にあなたがすればいいですしあなた自身がやることによって人生がより良い方向に変わるのであればいいです。

今あなた自身は本当に苦しい立場で誰にも何も言えない状態ではあるでしょう。

でも自分自身の人生ですから決断の連続は間違いありませんし私も個人的に本当に辛い人生を歩んできた一人ですので全部できるので是非親の供養はちゃんとやった方がいいです。

孤独死ほど最悪な死に方はない

Woman sitting in nature, watching sunset over fields. Peaceful and serene outdoor scene.

近年孤独死が本当に増えていると言っても過言ではありませんが今では本当に看取られずになくなるというような最悪な死に方をしている人が本当に多いです。

特に生活保護世帯というのは本当に辛いかもしれませんがもはや親戚からも誰からも見放されたと言ってもいいでしょう。

本当に私自身もそうですが誰かと付き合いがあるわけでもありませんし個人的に関わりたくないので孤独死というのは本当に最悪な死に方だと言ってもいいです。

現代日本が象徴しているようなものがあるんでしょうね。

私は孤独死というようなことは絶対に避けたいですが、親の看取りを通じてわかったことは本当に色々なことで私自身も自殺を考えたことがありますが正直自殺をやったところで意味がないです。

死にたいということは誰だってありますしその時にどのような行動をとるのかによって未来が変わってくるということなんです。

でも自分の親は本当に目の前でなくなってしまったということがトラウマのように出てくるので本当に孤独死というのは自分から見れば最悪な死に方です。

だからこそ孤独死は絶対に防がないとダメなんです。

生きている事に感謝をしよう

親の死から3年が経過しましたが本当に辛いと言ってもいいかもしれませんし今の状態を考えるのであるならば生きていることに感謝しないといけないです。

またどん底に落ちたとしてもお金が払えるということであるならば「払える私はすごい人」というように言うのが一番いいのではないかと思っています。

あなたは生きていることに感謝するということをやった方がいいです。

親が亡くなったとしてもあなた自身が生きているのであればいくらでも世の中というのはチャンスがあるんです。

3年経過した私自身も本当に親の死というのはものすごくつらかったと言っても過言ではありませんが今に思えば親からの最後のメッセージではなかったのかというふうに思うんですね。

今だからこそ言えるかもしれませんがこの瞬間に生きていることをあなた自身が感謝するっていうのは悪くないことです。

まとめ

自分はダメ人間だという風に思うのではなく親の死はあくまでも自分自身を成長させるためには通過点に過ぎないということです。

いつかあなたも死にます。

そのことをちゃんと理解しておけば生きるとは何かということが自然にわかってくるはずなんです。

もちろん簡単なことではありませんし生きる上で色々な辛いことを経験してきなければいけないかもしれませんが辛いことというのは本当にあなたを成長するためにあるんです。

どん底を経験した私自身も自分がここまで成長できたのは親あってのことだと言えます。

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